メイキング・オブ「十番の夜」! 第2弾 パート1

フットボールライフ・ゼロvol.2の「十番の夜」の未収録部分を大公開! 【パート1】

※今回からは「フットボールライフ・ゼロ vol.2」の誌面ではお伝えすることができなかった「十番の夜」の未収録部分を公開しちゃいます!

未収録コーナー


※えのきどさんから「ライター魂」を持つ人と称された海江田哲朗さん。そんな海江田さんがライター業をはじめることになったきっかけとは。


登場人物;
=えのきどいちろう  =海江田哲朗  =中山淳(編集長)  =後藤伸二(本誌スタッフ)


 海江田さんがサッカーの記事を書き出したのはいつ頃からですか?

 2000年からですね。それまではファンとしてサッカーを見ていました。

 じゃあそれよりもっと前、マガジンハウスでアルバイトをしていた学生の頃は、こんなことをやりたいなっていうのはあったんですか?

 その当時はこんなことをやりたいっていうより、記事を書いてそれでメシを食べていきたいなっていうのはずっと思っていましたね。
あ、それと俺、自主映画もやっていたんですよ。

 どういう映画をやっていたんですか? 映画をやってみようかってなったきっかけは?

 そんなに映画を見ていたわけでもなかったんですよ。ただ、友達と劇を作ったりするのが面白いなと。

 大学時代? それとも高校時代?

 高校生の頃ですね。福岡の高校で。

 高校は福岡だったんだ?

 小中高と福岡ですね。

 博多ですか?

 大宰府です。

 へえ、大宰府なんですか。で、高校から映画を撮っていたら、東京の大学に行けば何かすごいことが出来るんじゃないかって思いませんでした?

 そうですね。

 例えば『ぴあ』でも何でも情報誌を見てさ、田舎と比べると東京は爆発的にカルチャーイベントが多いし、もうクラクラするじゃないですか? まあ、それは今でもそうなんですけど。

 そうですね。でも大学の周りのヤツが俺と全然違ったんですよね。まあ、坊ちゃん高校からそのまま大学に上がってくるヤツが多かったこともあったし。

 日芸とか行くべきだよね、海江田さんのような人は。

 いやまあ、とりあえず東京に行けば何か面白いことがありそうだと思って出てきた程度なんで。

 大学生時代って何年から何年ですか?

 俺は、6年間大学に通ってたもんですから(笑)、91年入学の97年卒業ですね。

 そうか、いわゆる90年代不況の空気の中で。最初は景気が良かったけど、その後ボーンとなった空気の中にいたんだ。それは面白いな。

 とりとめもなくキャンパスにいたとうか。

 その頃って、Jリーグが始まった時期でもあるわけですよね。

 そうですね。それと、ドーハがあったじゃないですか。

 あったね。そうそう、日本サッカーが劇的にいろんなことが変わった時期だね。しかし世の中はものすごく落ち込んでいて。今も同じような空気あるけど。
そういう時期にマガジンハウスでバイトしていたいるすと、すごく金回りの良い学生になったと思うんですけど?

 そうですね、確かに当時は良かったですね。

 ですよね。バイトとしてもすごく良いし。

 バイトなのに社員証みたいなものもありましたしね。

 あと、「俺はメディアで働いてるぜ」みたいな気持ちとかさ。その頃はどんなことを考えていたの?

 今と変わらない感じだったと思うんですけど。ただ、フリーライターのオジサンたちがすごくまぶしくて。だから当時なりなかったのはライターですね。

そのライターのオジサンたちっていうのが午後4時くらいに出社して、で、6時くらいなると「飲みに行くか」って連れて行ってもらったりして。いろんな話をしてもらいましたね。そのオジサンたちがやたらまぶしかったというか・・・・・・。

 うらやましかったと。

 ええ。で、結局その中の一人で、同じ九州出身の方が俺の面倒を見てくれて。

 何歳くらいの人だったんですか?

 俺の親父くらいだったから、当時54歳くらいですね。

 マガジンハウスはフリーライターの元気が良いし、あと、ライターの待遇改善要求みたいなこともやったりするしね。

 考えられないですよね。だって、雑誌がなくなったら保証金のようなものまで出るんですよ。一年間稼いだ額を月割りにして、とか。

 僕は仕事で神保町に行くことが多かったので、集英社、小学館ですよね、基本的には。知り合いも多かったし。マガジンハウスはそんなに付き合いはなかったけど、知り合いが「マガジンハウスは単価が良いし、それに組合もあるらしいよ」って(笑)。

 でも、その頃はマガジンハウスでも『ポパイ』とか『ブルータス』とかそういうジャンルじゃなくて、どちらかというと社会派っていうんですか、NHK出版の『放送文化』ってあるじゃないですか、当時はああいう感じの雑誌をやっていました。

あるとき重油タンカーが金沢の方で座礁したから取材に行くぞって、連れて行ってもらって。で、現地でいろんな人に話を聞いたりして。そこで取材のいろはを教わりましたね。

そうそう、思い出しました。自主映画を撮っていたときの話なんですが、俺、映画ではシナリオを書く担当だったんです。
あるとき演劇人をテーマに撮ることになって。だったらシナリオを書く上で演劇をやっている人に取材しなきゃなって思って。

で、その取材が面白かったんですよね。学生の俺が取材に行くと、大学生ってあやふやな身分というか、取材相手も気軽に会ってくれてたんですよね。

そのときに初めて、世の中には色々な人がいるんだなって知りましたね。
今考えると、取材の面白さを覚えたその頃が、ライターとしての俺のスタート地点だったのかもしれないですね。



≪第2弾 パート1 了≫

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